砂糖菓子には毒があるか?(ディズニー化された作品たち)
2003年6月5日誰でも知っているピーター・パンの物語。いや、それは間違っているかもしれない。多くの人が「知っている」と思っているのは、ディズニーアニメの「ピーター・パン」だったりしないだろうか。
先日、本屋へ行った時に、思わず顔をしかめてしまった。ディズニーアニメの“ノヴェライズ本”なるものがずらりと並んでいたからだ。その中に「ピーター・パン」もあった。
ある紹介ページにこう書いてあった。
《夢と冒険あふれるディズニーの名作「ピーターパン」の小説化》
う、う、あいた口が塞がらないとはこのこと。
言うまでもないが、ピーター・パンはディズニーの作品ではない。ジェイムズ・M・バリが自分の哲学を込めて描いた物語の中のひとつだ。
もちろん、紹介文は確信犯なのであって、ディズニーの創作だなどと思っているわけでも言ってるわけでもないが、誤解を生むには充分過ぎる表現である。
ディズニー本人はミッキー・マウスなどの独自のキャラクターを生み出したすばらしい漫画家だと思う。しかし同時に、ディズニー・プロとしては「他人の作品を砂糖菓子化して台なしにしてしまう」仕事を山ほどしている。簡単に言ってしまえば、ディズニーアニメにされてしまった「作品」は、その作者の意図する重要な部分が削り取られ、底が浅くなってしまうのだ。毒は抜かれ、甘さを増し、うすっぺらいものになってしまう。
(もちろん全部が全部というのではない。伝承を骨組みとして肉づけした「白雪姫」や「シンデレラ」、「眠れる森の美女」などはすばらしい作品だと思う。しかし、これらの作品には明確な“作者”はいないので、解釈も表現も元々自由なのだ)
ディズニーがピーターを創造したのなら、いくらでもどのようにでも味つけすればいい。しかしピーターは他人の創作したキャラクターだ。その上に乗っかって商売をしてるのが、「ディズニーのピーター・パン」に他ならない。しかもこの上、今度「ピーター・パン2」なるものが公開されるという。
思えば人魚姫がハッピーエンドのストーリーでディズニー・アニメになると聞いた時もショックだった。そして続編が作られ人魚姫(アリエル)は子供までもうけている。
しかも宣伝をバンバン打たれ、ディズニーのものならなんでも良質とばかりに与え続ける世の親達によって、本来の姿でないものがどんどん刷り込まれる。いずれ本物の「人魚姫」の話は忘れ去られてしまうに違いない。
(「ママ、アリエルは幸せになるんだよ? この人魚姫のおはなし、変だよ」)
それぞれの作品性を、これほどぶち壊しにする行為が他にあるだろうか?
(ハッピーエンドでないと許せないなら、そもそもこの作品を選ばなければよいのだ)
ディズニーは人一倍自分達の作品を守ることには腐心しているというのに、この他人の作品に対する仕打ちはなんだろうか?
ピーター・パンは元々は「The Little White Bird」という物語の中の一つの重要なエピソードに出てくる登場人物で、後に劇作家としてこの部分を膨らませて舞台化したのがピーター・パンが独立した話として世に出る最初だったといわれる。しかしこの劇が大当たりしたため、模倣の“ピーター・パン”が数々出版され、それに業を煮やしたバリが改めてちゃんと本に書き直して出版したという経緯があるそうだ。
「模倣の“ピーター・パン”」とは、まるで今度の「ピーター・パン2」みたいではないか。
1987年にバリの著作権は失効しているので、こういったこと誰も文句はつける権利はない。
(著作権は作者の死後50年をもって失効する)
しかし、間違ってはならないのは、著作権の失効とは単に法律で守られる期限を過ぎたということであって、「ピーター・パン」の作者がバリであることはこれから先も変わらないということだ。
先日、本屋へ行った時に、思わず顔をしかめてしまった。ディズニーアニメの“ノヴェライズ本”なるものがずらりと並んでいたからだ。その中に「ピーター・パン」もあった。
ある紹介ページにこう書いてあった。
《夢と冒険あふれるディズニーの名作「ピーターパン」の小説化》
う、う、あいた口が塞がらないとはこのこと。
言うまでもないが、ピーター・パンはディズニーの作品ではない。ジェイムズ・M・バリが自分の哲学を込めて描いた物語の中のひとつだ。
もちろん、紹介文は確信犯なのであって、ディズニーの創作だなどと思っているわけでも言ってるわけでもないが、誤解を生むには充分過ぎる表現である。
ディズニー本人はミッキー・マウスなどの独自のキャラクターを生み出したすばらしい漫画家だと思う。しかし同時に、ディズニー・プロとしては「他人の作品を砂糖菓子化して台なしにしてしまう」仕事を山ほどしている。簡単に言ってしまえば、ディズニーアニメにされてしまった「作品」は、その作者の意図する重要な部分が削り取られ、底が浅くなってしまうのだ。毒は抜かれ、甘さを増し、うすっぺらいものになってしまう。
(もちろん全部が全部というのではない。伝承を骨組みとして肉づけした「白雪姫」や「シンデレラ」、「眠れる森の美女」などはすばらしい作品だと思う。しかし、これらの作品には明確な“作者”はいないので、解釈も表現も元々自由なのだ)
ディズニーがピーターを創造したのなら、いくらでもどのようにでも味つけすればいい。しかしピーターは他人の創作したキャラクターだ。その上に乗っかって商売をしてるのが、「ディズニーのピーター・パン」に他ならない。しかもこの上、今度「ピーター・パン2」なるものが公開されるという。
思えば人魚姫がハッピーエンドのストーリーでディズニー・アニメになると聞いた時もショックだった。そして続編が作られ人魚姫(アリエル)は子供までもうけている。
しかも宣伝をバンバン打たれ、ディズニーのものならなんでも良質とばかりに与え続ける世の親達によって、本来の姿でないものがどんどん刷り込まれる。いずれ本物の「人魚姫」の話は忘れ去られてしまうに違いない。
(「ママ、アリエルは幸せになるんだよ? この人魚姫のおはなし、変だよ」)
それぞれの作品性を、これほどぶち壊しにする行為が他にあるだろうか?
(ハッピーエンドでないと許せないなら、そもそもこの作品を選ばなければよいのだ)
ディズニーは人一倍自分達の作品を守ることには腐心しているというのに、この他人の作品に対する仕打ちはなんだろうか?
ピーター・パンは元々は「The Little White Bird」という物語の中の一つの重要なエピソードに出てくる登場人物で、後に劇作家としてこの部分を膨らませて舞台化したのがピーター・パンが独立した話として世に出る最初だったといわれる。しかしこの劇が大当たりしたため、模倣の“ピーター・パン”が数々出版され、それに業を煮やしたバリが改めてちゃんと本に書き直して出版したという経緯があるそうだ。
「模倣の“ピーター・パン”」とは、まるで今度の「ピーター・パン2」みたいではないか。
1987年にバリの著作権は失効しているので、こういったこと誰も文句はつける権利はない。
(著作権は作者の死後50年をもって失効する)
しかし、間違ってはならないのは、著作権の失効とは単に法律で守られる期限を過ぎたということであって、「ピーター・パン」の作者がバリであることはこれから先も変わらないということだ。
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